ぜんいつ かいがく。 獪岳 (かいがく)とは【ピクシブ百科事典】

ぜんいつのじいちゃんの名前や名言紹介!いつ死んだのか真相を調べてみた!|情報屋ピッピ通信

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引用:鬼滅の刃 5巻 義勇が編み出し、義勇だけが使える11番目の型。 凪いだ海の静けさをもって、 あらゆる術を無効化する 最強の技になります。 しかし圧倒的な攻撃数の場合はそれも危うく、一定を超える術式には被弾することもアリ。 作中では水の呼吸と同じくらいの頻度で目にすることになります。 創始者である 継国 つぎくに縁壱はこの呼吸を色々な人に教えたものの、モノに出来る人は少なかったそうです。 また 鬼舞辻 きぶつじと 黒死牟 こくしぼうが ことごとく日の呼吸の継承者を皆殺しにした経緯もあり、いまやその存在すらも知られていませんでしたね。 作中では継国の子孫である無一郎は日の呼吸を使えないはずでしたが、窮地に際して刀身を 赤く染めることに成功しています。 円舞 引用:鬼滅の刃 18巻 闘気を完全に消し去り、一瞬にして反転し首を刈る 必殺の舞。 亡き父の見取り稽古を想起した炭治郎が、闘いの中で編み出した無双の一撃です。 月の呼吸 主な使用者: 黒死牟 こくしぼう 天才剣士・ 縁壱 よりいちの兄である 黒死牟 こくしぼうの扱う呼吸法。 彼はもともと弟の使う日の呼吸を使いたかったものの、才の不足によって極められませんでした。 いわばこの剣は、日の呼吸のもう一方、 裏の剣ということです。 しかし長い歳月を費やして開発された月の呼吸は、それに勝るとも劣らず強力。 恐るべき 広範囲攻撃が特徴で、柱の面々をさんざんに苦しめました。 壱 いちノ型: 闇月 やみづき・ 宵 よいの宮 引用:鬼滅の刃 16巻 一瞬で飛び込み、相手の首を刈り取る電光石火の早業。 義勇の「 凪 なぎ」と同じく、 善逸 ぜんいつが生み出した、彼だけに使えるオリジナルの型です。 獣の呼吸 主な使用者: 伊之助 いのすけ 「猪突猛進!」 誰にも習わずに自ら編み出した剣を使う、 伊之助オリジナルの呼吸法。 刃こぼれした二刀を振るいながら突撃をカマすスタイルは、見た目とバッチリ合っていますね。 しかし以外にも探知能力に優れた呼吸などもあり、突進だけが能でないと見せつけます。 というか師匠が居ないでこれだけ戦えるなんて、もしかすると生まれつきの天才とは伊之助のことを言うのでは…? 壱 いちノ牙: 穿 うがち抜き.

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鬼滅の刃善逸の兄弟子はとんでもないゲス野郎!獪岳(かいがく)は師を亡き者にした

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その本名は漫画本編では伏せられていましたが、小説版で正式に明らかになりました! 善逸のじいちゃんの名前は、 桑島慈悟郎(くわじまじごろう)です。 例えば元水柱の鱗滝左近次は 水の呼吸の使い手ですが、名前には「 滝」が使われています。 元炎柱の煉獄槇寿郎の流派は 炎の呼吸で、「 煉獄」はカトリック教で「 火で浄化される清めの場」を意味します。 どちらも流派と密接に関係する名前が付けられていることがお分かりいただけるかと思います。 一方、善逸のじいちゃん「桑島慈悟郎(くわじまじごろう)」に関してはこの法則は当てはまらないようです。 桑島慈悟郎は「元鳴柱」。 善逸を剣士として育てた師匠なので、当然善逸と同じ「 雷の呼吸」の使い手です。 しかし、「桑島慈悟郎」の名前の中には雷を直接連想させるような漢字は入っていないようです。 その代わり、「 慈」(慈しむ=可愛がり大切にする)や「 悟」(悟る=表面に表れていない本質を見抜く)という字があてられています。 そして、その最期はかなり壮絶だったとか。。 戦国武将がよく行っていた日本独自の風習として知られており、海外でも「ハラキリ」と呼ばれるほど有名になっています。 自分のお腹を刀で突き刺してからグッと切り裂く…想像しただけで恐ろしいですよね。。 しかも、善逸のじいちゃんの最期は、ただの「切腹」ではありません。 「 介錯なしの切腹」です。 介錯とは、切腹する人がお腹に刀を突き刺すタイミングで、その首を斬って楽に死ねるように手助けすることです。 人の体は案外しぶとく、お腹を切っただけでは中々死ぬことができず、その痛みに悶絶しながら暫くの間苦しむことになります。 その苦痛を和らげるため、切腹する人のそばに付き沿うのが介錯人の重要な役割なのです。 介錯人無しの切腹を選んだ善逸のじいちゃんは、とても苦しみながら死に至ったことでしょう。。 (泣) じいちゃんが切腹した理由は? 元鳴柱としても、雷の呼吸の育手としても、周囲から慕われ尊敬されていたじいちゃんですが、介錯なしの切腹という悲しい最期を遂げたのは一体なぜなのでしょうか。 その一番の理由は、 責任を取るためだったとのことです。 じいちゃんには、善逸以外に「獪岳(かいがく)」という継子(つぐこ)がいました。 善逸にとっては獪岳は兄弟子のような存在で、陰ながら慕っていた様子も描かれています。 その獪岳は、鬼の討伐を目指す剣士でありながら、十二鬼月に襲われた際に命乞いをし、 鬼となってしまったのです。 自分が手塩に掛けて育てた継子が鬼になってしまったという報告は、じいちゃんにとって非常に辛いものだったことでしょう。 雷の呼吸の門下から鬼を出してしまったことに対し、 死んでお詫びをする というのが、じいちゃんなりの責任の取り方だったといえます。 そして、ただ切腹をするのではなく、介錯なしという最も苦しむ方法で自分に罰を与えたのです。 鬼滅の刃、善逸が怒っていた理由がついに明かされました。 雷の呼吸の継ぎ手が鬼になったことで、爺ちゃんが責任を取って切腹していたなんて… しかも介錯もなし。 鱗滝さんの「腹を切ってお詫び」という言葉、鬼滅隊の覚悟がどれほど重いものなのか、今さらながらに思い知らされます。 善逸はじいちゃんの死をどうやって知った? 善逸がじいちゃんの死の報告を受けたのは、チュン太郎からの 手紙だったと推察されます。 チュン太郎とは、善逸の鎹鴉(かすがいがらす)のことですが、実際は何故か雀(すずめ)です。 焦った様子のチュン太郎から届けられたものに対し、「え、なに?手紙…?」と不安そうな善逸。 そして、渡された手紙を読んだ後の善逸の様子から、ただならぬ雰囲気を感じましたよね。 手紙を渡された直後の善逸のセリフがすごいささりました。 つら — つくも🍟マチルダ🍟デレマス垢🍟 tukumo0501karen この手紙の中で善逸は「じいちゃんが切腹死したこと」、そして、「その理由は兄弟子の獪岳が鬼化したから」であると知ったのでしょう。 いつも情けないことばかり言っている善逸が、こんなに厳しい表情をするなんて。 絶望のどん底に突き落とされた善逸は、この後一体どんな行動を取るのでしょうか…? じいちゃんの切腹に対する世間の反応は? 善逸のじいちゃんの壮絶なる死に対し、ファンの皆さんからは悲しみや絶望の声が多数上がっていました。 ここでは、その一部をご紹介したいと思います。 弟子が鬼になったら師匠は切腹しなければならないなんて…悲惨すぎる。 じいちゃんのせいじゃないのに!• えっ、じいちゃんやっぱり死んじゃってたんだ…。 悲しい…。 鬼の妹と旅してる炭治郎なんて論外じゃん。 お腹って神経が集中してるから、突き刺したらかなり痛いらしいよ。 じいちゃんはかなり苦しんで亡くなったんだな。 あの時代だから仕方ないのかな、とは思うけど、マジでしんどい。 獪岳はどんな気持ちなんだろう。 絶対許せないんですけど。 それでも善逸が「じいちゃん」と親しみを込めて呼んでいたのは、強い信頼関係で結ばれていた証拠でしょう。 善逸とじいちゃんの絆を象徴するような名言を、ここではご紹介したいと思います。 「 お前は儂(わし)の誇りじゃ」 これは、第146話「誇り」で登場した台詞です。 瀕死の状態で意識を失った善逸の夢の中で、善逸はじいちゃんとの再会を果たします。 彼岸花の咲く三途の川で、獪岳が鬼になったのは自分のせいだと嘆く善逸。 そんな善逸に対して、じいちゃんが放ったのがこの言葉「善逸、お前は儂(わし)の誇りじゃ」。 目に涙をいっぱいに浮かべたじいちゃんの表情と、まるで本当の祖父のような温かい答えに、涙腺が崩壊した方も多かったのではないでしょうか。 じいちゃんは善逸に、「お前は何もわるくない、このまま自分の思う道を進んでほしい」という思いを伝えたかったのかもしれません。 善逸やじいちゃんの無念がわかるからこそ、涙無しには読めない回でした。 その他の名言は? じいちゃんの最も代表的な名言は「お前は儂の誇りじゃ」ですが、他にも善逸の回想シーンで心に響く言葉を残しています。 十二鬼月の一人「累(るい)」が支配する那田蜘蛛山で、炭治郎や伊之介とはぐれた善逸は「鬼の蜘蛛(累の兄)」と戦うことになります。 何度も一つの技を出そうとする善逸は、遂に鬼に「一つの型しかできない剣士」であることを見抜かれてしまいます。 そこで思い出したのが、じいちゃんからのこの言葉。 「いいんだ、善逸。 お前はそれでいい。 一つできれば万々歳だ。 一つのことしかできないなら、それを極め抜け。 」 「 泣いていい、逃げていい、ただ諦めるな。 誰よりも強靭な刃になれ!」 全部で六つある雷の呼吸のうち、善逸が習得できたのは「壱の型」だけ。 普通だったら落ちこぼれの烙印を押されてしまうこと間違いなしですが、じいちゃんは「一つの型を極めぬけば、お前はそれでいいんだ」と優しい言葉をかけます。 善逸のことを決して見捨てなかったじいちゃんのこの名言が、今も善逸の心の拠り所となり、彼の強さの原動力になっていたんですね。 善逸のじいちゃんの名前は、その愛情深い内面にぴったりな「桑島慈悟郎(くわじまじごろう)」でした。 とても悲しいことに、最期は切腹で死んだというのは間違いないようですね。。

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【鬼滅の刃 考察】ネタバレ感想|我妻善逸VS上弦ノ陸獪岳(がいかく)戦決着|冒頭から結末までのまとめ|「ジャンプ」マンガ好き.COM

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CV:( 善逸の兄弟子名義) 概要 の回想にて存在が示唆されていた 善逸の兄弟子。 当初は名前が不明だったため、読者からは善逸に桃を投げつけていた姿から 「桃先輩」という仮称で呼ばれていた。 師匠である慈悟郎のことを「先生」と呼び、真面目に修行に励む"雷の呼吸"の継承者。 善逸の回想シーンでは 「お前への指導は先生の時間の無駄」だと善逸にきっぱりと告げ、剣士を辞めるように責め立てている。 兄弟子であることから善逸より早くに入隊している模様。 階級や入隊後の動向は一切不明。 戦死したとに代わって "上弦の陸"の座を与えられ、無限城において鬼殺隊を殲滅せんと立ち塞がる。 彼が熱心な努力家で、真面目に鍛錬に励んでいたことは間違いない。 彼のは黄色であり、鎬に稲妻のような文様が入っている。 慈悟郎も善逸に 「獪岳を見習え!」「兄弟子のようになれ!」と檄を飛ばし、善逸も獪岳を嫌ってはいたものの、自分とは違いひたむきな彼を尊敬していた。 そして、その背中を見ていつか肩を並べてともに戦うことを願っていた。 その性格は 「自分の才能を正しく評価する者が善で、自分を正しく評価出来ない者が悪」という台詞からわかるように傲慢で独善的。 弟弟子の善逸を露骨に見下し蔑み、自分も素質に偏りがあったにも関わらず、己の才能を絶対視していたこと。 そして、それが認められない現状に勝手に不満を募らせることから、善逸とは違う方向の問題児の側面も見受けられる。 善逸はそんな彼を 「どんな時も不満の音がしており、心の中の幸せを入れる箱に穴が開いている」と評している。 過去 彼は岩柱ことが心を閉ざす原因となったとされる。 かつて、悲鳴嶼が多くの孤児と共に住んでいた頃の話で『ある子供が、いいつけを破って夜に出歩いていた時に鬼と遭遇し、自分一人が助かるために鬼に他の子供を売った』という事件が起こった。 その回想シーンで、ビジュアルの類似性と身勝手な性格から、 その時の子供こそ、慈悟郎に拾われる前の獪岳ではないかという推測もなされていた。 その後、原作17巻にてそれが 獪岳本人であると明言された。 事件の真相は、悲鳴嶼が盲目なのをいいことに寺の金を盗んだことが他の子供達にばれ、彼らから責め立てられた末に追い出されたことを逆恨みし、復讐として鬼に彼らを売ったというものであった。 子供達は悲鳴嶼に気を揉ませまいとしたのか保護者に相談もなく追い出した後ろめたさからか、獪岳は寝ていると嘘を吐き、悲鳴嶼自身も目が見えないこともあり鬼に言われるまで獪岳がいない事に気づかなかった。 善逸は獪岳のことを 「クズ」 と評し、その苛烈な性格から確かに嫌っていた。 それでも、善逸にとってたった一人の兄弟子であることに変わりはない。 また、善逸は修行場を離れた後も獪岳にまめに手紙を送り、心の底では 「兄貴」と呼んでいた。 しかし、それが獪岳の心を満たすことはなかった。 獪岳が善逸を嫌っていた最大の理由は、善逸の性格とは別のところにある。 しかし、獪岳は弟弟子と自分が同列に扱われるのが我慢ならず、善逸が贔屓されていると考えていたのだ。 実際は慈悟郎は獪岳と善逸を平等に慈しんでおり、揃いの羽織まで渡している(残念ながら獪岳がその羽織に袖を通すことはなかった)。 獪岳が善逸ばかり贔屓されていると感じたのは、自分には出来ない壱の型が使える嫉妬や、善逸が甘えたがりで慈悟郎に懐いていたからだと考えられる。 そんな獪岳の運命の分岐点は 十二鬼月最強の鬼、"上弦の壱"ことに遭遇してしまったことである。 良くも悪くも一般人的な感性を持っていた彼にとって、黒死牟の存在は目にするだけで恐怖と絶望感を与えるものであった。 その圧倒的な力に追い詰められて彼に土下座をしてまで命乞いをした結果、それを聞き入れた黒死牟によって提案されたのは鬼への勧誘。 そして獪岳は、恐怖に震えながら無惨の血を摂取。 その結果、人を貪る鬼へと変貌してしまった。 ……生きてさえいればいつかは勝てるという彼の考えによって、惜しくも自分の命を捨ててまで相手に立ち向かおうという考えに行くことはなかった。 最期 そして、無惨の本拠である無限城にて善逸と対峙することとなる。 鬼化したことで精神の歪みが加速したのか、善逸が伝えた弟子に鬼を出した不始末の償いとして自害を選んだ慈悟郎のことも侮辱する。 しかし、善逸は一言の元に吐き捨てた。 「俺がカスならアンタはクズだ」 「壱ノ型しか使えない俺と壱ノ型だけ使えないアンタ」 「後継に恵まれなかった爺ちゃんが気の毒でならねぇよ」 善逸との戦いでは、"雷の呼吸"に加えて鬼化で得た相手の体を崩壊させるを組み合わせた技で、善逸に致命傷に近い傷を負わせる。 しかし、善逸が他ならぬ 「いつか獪岳と肩を並べて戦うため」に編み出したによって頚を刎ねられる。 散々見下していたはずの善逸が、自分だけの新たな型を生み出す。 そして、自分がその技を受けて敗北する。 その事実を受け入れられない混乱の中で、力尽きた善逸も死ぬ以上自分の負けではないと勝った気になっていた。 だが、そこにと他の隊士が駆けつけて善逸を救出する。 そして、愈史郎から今までの自分勝手な言動に対する嘲りと哀れみの言葉を浴びせられる。 あらゆるものを踏みにじってまで保とうとしていた己の自尊心が覆しようのない形で折れていく事実に、もはや声にならない断末魔をあげながら消滅した。 一応"上弦の陸"という位を与えられていたものの、ですらない善逸一人に倒されるという他のと比較すると明確に格落ちするあっけない最期であった。 言わば補欠合格のような形で上弦の地位を得たに過ぎないことからこのっぷりも仕方のない所がある。 能力 /全集中"" "雷の呼吸"と血鬼術を組み合わせた技を使う。 血鬼術により刀の斬れ味が強化され、呼吸の演出も善逸と異なり 黒い雷になっている。 その斬撃を喰らうと体に亀裂が奔り、肉体を罅(ひび)割り続ける。 弐ノ型 稲魂(いなだま) 瞬きの間に行われる高速五連撃。 参ノ型 聚蚊成雷(しゅうぶんせいらい) 標的の周囲を回転しながらの波状攻撃。 肆ノ型 遠雷(えんらい) 詳細不明。 劇中の描写からおそらく壱ノ型と同系統の踏み込みからの斬撃と思われる。 伍ノ型 熱界雷(ねっかいらい) 下から上へ斬り上げる。 その威力は受けた善逸が天井に激しく衝突するほど。 陸ノ型 電轟雷轟(でんごうらいごう) 詳細不明。 劇中の描写では空中で放たれ、受けた善逸は体の至る場所に斬撃を喰らった。 総評 今まで鬼になったことで精神が歪んでしまった者や、鬼と出会って人生が一変してしまった者はいたが、鬼と出会う前から心の空白が明言される人物は彼が初めてである。 鬼になる前から「自分さえ良ければいい」という心情の元、多くの人物の心を傷つけ、死に追いやり、その事を一切悔いずに果てた事は到底許されない。 過酷な子供時代の影響から 「生きてさえいれば、いつかは自分を見下す強者にも勝てる」と考えており、悲鳴嶼の寺での回想や、黒死牟と出会い鬼となったことからもそれがわかる。 人間的に未熟な部分も、素晴らしい部分も理解しようとしていた善逸と慈悟郎の本心を見抜けず、 「泣き虫なお前と努力している自分を一緒にされたくない」「自分の才能や努力を評価してほしい」という強い承認欲求の末、二人を裏切り、獪岳は鬼となった。 更に言えば獪岳の行為によって被害を受けた悲鳴嶼や責任をとって切腹した慈悟郎も憐れみこそすれ、決して獪岳を恨んだり、責める言動はしていない。 理解者であった周囲の人について、思いやることなく自分を理解してほしいと願い、ただ生き抜くことのみ考え、その欲望のまま生きた結果、獪岳は誰にも認められることなく最期を迎えることとなったのである。 よって、結論から言うと獪岳が「クズ」であったことは否めない。 ただこれらの行為をそう断じるのは簡単だが、どちらのケースも 極限状態に追い詰められた故の行動である事を考慮しなくてはならない(所謂)。 寺を追い出された事は彼の自業自得だが、鬼と出会ったのは偶然である。 また、いくら鬼殺隊に入隊した後とはいえ黒死牟と出会ったことに関しては不幸としか言いようがない。 善逸は獪岳のことを嫌ってはいても、尊敬している一面もあったと告白している。 よって、彼の一部分だけを切り取って「ただのクズ」とは呼べないだろう。 寧ろ、彼の人生を大きく分けた二回の選択の機会に提示された選択肢はどちらも「自分が死ぬか、或いはそれ以外の誰かが死ぬか」という究極の二択だったこと、仮にその時自らの死を選んだとしてもそれが正しく評価されたかということまで考慮すると、誰も彼の事を非難することは出来ないだろう。 「他の命を犠牲にしてでも自分の命を守って生きる」というのは人類も含め全ての肉食動物の命の営みにも当てはまり、いわば自然の摂理、 食物連鎖にも共通する部分がある。 彼の心の空白を考慮しても、慈悟郎は 「善逸と獪岳が二人で雷の呼吸の継承者となること」を望み、弟子として育てたのだから。 彼は前任の"上弦の陸"の妓夫太郎と堕姫の兄妹同様、 環境によって悪に染まってしまったタイプと言える(少なくとも、のの様に生まれついての悪ではない)。 「自分さえ良ければいい」という傲慢で独善的な考え方も、元はと言えば「そうでもしなければ生き残る事すら叶わない」程に過酷に過ぎる子供時代に起因したものであり、そういう生き方を強いた親や環境にこそ原因と責任があるという見方も出来る。 寺の子供たちが理由があったとして、獪岳を鬼が出ると言われる外界に放逐したことについてはやり過ぎとも思えるが、悲鳴嶼がそれを子供たちに問い質すことはついぞ無かった。 また、善逸も最初の頃は比較的温厚な性格である炭治郎が 「描写できないレベルの般若の形相」を浮かべる位にマジ切れすることもあるほどのかなりのヘタレだったのを勘案すると、獪岳が善逸に辛く当たった原因は善逸の言動にも原因があったのかもしれない。 大して修練しているように見えない善逸がよりにもよって自分が唯一会得出来なかった壱の型だけ使えたという不愉快極まりない現実まで見せつけられた獪岳のストレスは如何程のものだっかは察するに余りある。 そして、跡取りとして認められていると思っていた桑島が新たな弟子として善逸を連れてきたことに対しての失望も大きかったと思われ、桑島が不出来な弟弟子を構い、その分恐らく獪岳の指導時間が削られ、自らの扱いや存在が軽視されたと感じたのではないかと推察される。 「人間的に未熟な部分も、素晴らしい部分も理解しようとしていた善逸と慈悟郎の本心を見抜けなかった」と上にも書いたが、実際のところ二人の思いもまた一方通行でしかなく、それを積極的に伝える努力をしていたような様子は殆どなかった。 理解しようとはしていたかもしれないが、結局本心を見抜けなかったのはお互いさまである。 慈悟郎が最期に介錯もつけずに切腹をするという最も苦しい死に方を選んだのは、もしかすると一門から鬼を出した不始末に対する贖罪ではなく、己の無理解が原因で獪岳を苦しめ、鬼に堕としてしまったことへの贖罪と、そうさせてしまった己の不甲斐無さに対しての罰だったのかもしれない。 だが、両者の思いは終ぞ正しく伝わることは無く、完全にすれ違ったまま破局を迎えてしまった。 獪岳側には最初から破滅以外の結末などなく、選択肢があるとすればそれがいつ、どのような形になるか程度を選ぶことしかできなかった。 もし、善逸と慈悟郎がより積極的に獪岳を理解しようとし、その奥底にある本心に気づくことが出来ていれば、そうでなくとも、もう少し誤解を招かないような接し方さえ出来ていれば、結末は違っていたかもしれない。 公式ファンブック「鬼殺隊見聞録」にて無惨による上弦への評価では他の鬼への評価は全て判明しているものの、発売時期の影響か獪岳のみ無惨からの評価が判明していない。 今後なんらかの形で公表されるのであろうか、現状では不明。 関連イラスト 鬼化後.

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